Z・刻をこえて ~ ZDA/ Marathon 2400FSL

東欧スロバキアにPartizánske(パルティザンスケ)という小さな町があります。
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1938~39年ごろチェコ人実業家ヤン・アントニーン・バチャ氏(世界的シューズメーカーBata社創業家一族の人物です)によってまず製靴工場が建てられ、その工場勤務の労働者のための居住地として開発された計画都市です。
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(以上の画像はhttp://muzeumpe.sk/より)

当初は既存の自治体Šimonovanyの一部としてBaťovanyという別の名前でしたが、のちにŠimonovany全体をひっくるめてBaťovanyとして正式に町として認められ、1944年のナチスドイツ傀儡政権打倒のためのスロバキア民衆蜂起の際にここでも地元住民による抵抗運動(Partizán)が行われたことからそれに因んで1949年に現在の名前へと改称されました。

さて、そんな歴史背景を持つこの靴の町で’60年代-チェコスロバキアという国名であった時代です-に存在した今は無きブランドのマラソンシューズの型やラスト(木型)など一式、さらには実際に製造に使用していた機械の現存が発覚したことから長らく止まっていた時計の針が再び動き出します。

そして現代の素材を用いながらも当時の形そのままを再現して復活を果たし、刻をこえ海をこえて仲町台の個人商店に並ぶことになりました。

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それがこのZDA(ゼットディーエー)の”Marathon”です。
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ロゴに小さく”ZAVODY 29. AUGUSTA”、則ち「8月29日の工場」とあります。
スロバキア語には疎いのですが、20はDvadsať、9はDeväťのようです(29が判りませんでした…)ので、ほぼ確実にZDAはこの略称でしょう。
ちなみに、8月29日は先述のスロバキア民衆蜂起が勃発した日です。

マラソンはシリーズ名で、この中で何モデルかが存在するらしいのですが、当店ではこの品番”2400FSL”を取り扱います。

店主が初めてこの靴に出会ったときそのモダンさに仰天し、俄にはこれが約50年前のモデルとは信じられませんでした。
’80年代のデザインに違いないと思い、何度も代理店の担当の方に確認したものです。

参考としてadidasの1968年のカタログ画像を貼りますので、ご覧いただければ店主の驚きも少しは伝わるのではないでしょうか。
この時代ですよ!
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当時ZDAでどんな素材が使用されていたのかは詳らかではないものの、少なくともレザーをシンプルに組み合わせただけの靴がオリンピックでトップアスリートに使用されていたような時代に、これだけ複雑な構造のアッパーを作る技術力は恐ろしいほど。
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また、このアッパーだけでも圧倒的に革新的なのですが、特に驚いたのがミッドソールのEVAスポンジ積層です。
一般的にEVA積層は’70年代に於けるランニングシューズの最先端技術と云われています。
それに先駆けてこの3層ミッドソール、なぜこれほどのブランドがマイナーなまま埋もれたのか…
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折角なので1979年のFoot Lockerのカタログもご覧ください。
この時点と較べてもなおZDAの先進性が光ります。
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アウトソールは”マラソンソール”と呼ばれるパターンで、地面に噛みつかんばかりの高いグリップ性能を備えています。
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そしてこの精悍な面構えにしてサイドにちょこんと置かれた”Marathon”の素朴なロゴが、なんだかほっとさせますね。
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このようにただマイナーな謎ブランドの復刻というだけでなく、靴としてきわめて高い完成度を誇るこのモデル、当然のようにスロバキア国内生産でありながら良心的なプライス設定であるのも嬉しいところ。

男女用サイズを幅広く揃えました。

KARHU、LUNGEと並ぶ第3の柱として、当店ではこのZDAを今後も大切に推していきたいと考えています。

オンラインストアはこちら→ ホワイト×ベージュ/ ブラック×ネイビー


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