「サステナブル」?

やれサステナだ何だと喧しい我がアパレル業界。

「サステナブルファッション」「サステナブルブランド」「サステナブル推進」…
こうした表現をよく見かけますね。

当店で開設している匿名質問箱や、またはメディアの取材とかでも、「ユーフォニカさんはサステナブルに何か取り組んでいますか?」といった質問をしばしば受けます。

でも、その「サステナブル」って何でしょう?

「サステイナブル(個人的には、”Sustainable”は「サステナブル」でなくせめてこう表記したいものです)」はあくまで形容詞であり、そしてこの文言が修飾する体言は、つねに曖昧です。

「持続可能な」…何が持続可能なのか、そもそも持続可能とはどういうことなのか、いまひとつはっきりしません。

感覚的な解釈としては、「環境負荷が少ない」「システムとして無理なく継続可能」といったところで、これは概ね皆さんも共通していると思いますが、はてさて。

そしてアパレル業界でこの文言が使われている場合、概ね再生ポリエステルで作られた製品だったり、端材等を利用したエコレザー使い、あるいは古着の活用といった文脈が多いように見えます。

これはどうも、少なくともアパレル業界に於いては単なるトレンドワードに過ぎず、「アスレジャー」とか「ノームコア」のような、「いまはこの感じがイケてる」という、要は服を売るための単なる方便なのではないでしょうか。

まず何より、「持続可能」の意味するところが曖昧かつ浅薄に過ぎます。

その定義によって問題点やとるべきアクションは変わってくるはずですけれど、それは再生ポリエステルを使えば解決する話なのか、思いつくままに考えてみたいと思います。

地球規模で考えてみた場合。
この星にとって一番害が少ない、自然環境に優しいのは、おそらく人類が完全に死滅することです。

英国ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンの研究チームが発表した説によると、北米~南米に移住した欧州の人たちが先住民族を大量虐殺した結果、フランスの国土面積相当の広大な農地が放置されて森林に戻り、大気中の二酸化炭素が激減、その結果地球の寒冷化が進んだそうです。

言うまでもなくそれは虐殺や侵略を正当化する口実にはなり得ませんが、この副次的現象は、人類のもたらす地球環境への負荷を物語る一例にはなります。

とはいえ、これを望ましい未来としてしまうと、人類にとっては持続を意味しません。

それではだめなので、もう少し話を小さくしてみましょう。

たとえば皮革製品が動物の命を奪うものだから云々と、風当たりが強まってきてますね。
毛皮なんてアメリカの都会で着たら怒られそうな勢いです。
一方でポリエステルを原料としたいわゆるエシカルレザー、フェイクファーが善しとされはじめています。
しかし、ファッション用の毛皮製品はともかくとして、一般的な牛革や豚革などは、食肉の副産物です(北極圏などでは、毛皮も同様に副産物であり、そして生命維持に重要な被服の素材となります)。
我々人類は雑食動物ですから、みながみな完全にヴィーガンになることはできません。
動物性蛋白質は、健康を「持続可能」にしてくれるたいせつな栄養素です。
そんななか、皮革製品を否定し悪とするなら、余った皮は捨てるべきなのでしょうか?
それって、動物の命の尊厳を重んじているつもりの、単なるエゴに過ぎないのでは?

もちろん、素材の進化はあって然るべきで、エコレザーやエシカルレザー自体を否定はしません。
選択肢の一つとしては大いに期待されるべきものです。
が、本革と並べて善悪二元論にもち込むのは、本質的ではないように思います。

無論のこと、皮革の話は別にしてもアパレル業界に改善すべき点は山のように存在し、実際にこのままだと行き詰まるであろうシステムも大いに幅を利かせています。

そのひとつが、ファストファッションをはじめとする安価衣料です。
安価な衣料がなぜ安価か、それは大量生産によるものですよね。
大量生産ということは、まず莫大な量の原材料を必要とします。
そして製品も大量に作ることで、一点あたりのコストを下げます。
となると、容易に過剰生産に陥りますから、廃棄も増えます。
そうでなくとも、買ってすぐ着なくなった安価な衣料などは先進国からアフリカに大量に流れ、目を疑うほどのゴミの山を築いています。

また、製品コスト削減のためには、人件費の安い国の工場を利用することが必須となります。
言ってしまえば経済格差につけこんだ仕組みですが、たとえば中国のように世界の工場となった結果すさまじい経済大国となり、人件費が高騰、結果カンボジアやバングラデシュといった人件費の安い別の国へ生産を移行したりすることも。
これは人間にかかるコストの安いところはどこか、人を気軽に使える貧しい国を探し求める、そうした奴隷商人に通じる発想です。

もちろん、現地としては安定した仕事が得られるわけですから、一概に悪いこととは言いません。
しかしそれは人件費が上がればほかに仕事を移されるということでもあり、長期にわたる継続的な運用は難しい話とも考えられます。

では、適切な量をきちんとした環境で生産し、然るべき対価を払えばよいのでは。
その試みが、コーヒーやチョコレートなどでお馴染みのフェアトレードです。
素晴らしい取り組みなのは言うまでもないことである一方、当然のことながら製品単価は跳ね上がります。
だれもかれもがフェアトレード製品を当たり前のものとして買えるなら素敵なことですが、現実的にはそうではありません。

となると、他国との経済格差のみならず、自国内の経済格差是正や底上げの必要性も生じてきます。
ここで視点をさらに狭く、日本国内に移してみますね。

日本はどんどん貧富の差が拡大し、一億総中流と呼ばれた時代はすっかり過去のものとなりました。
そのうえで消費税はどんどん上乗せされ、福祉ではなく大企業への法人税を減らした分の穴埋めに使われています。
資本主義のよくない面が、ここ30年にわたりじわじわと国を蝕んでいるわけです。

ユニクロですらいつしか高いと云われ、日本で一番人気のファッションブランド(実用品ブランドとして、ではなく!)のようになってしまいました。

この惨状は政治のミスも一因あるのは間違いないでしょう。

しかし我が国では「野球と宗教と政治の話はタブー」と、政治について触れない、関心を持たないのが大人の嗜みとされ、声を上げることすら躊躇されるような空気が支配的です。
ゆえに政治について何か踏み込むと、すぐに特定政党や政治家、団体などへのコミット、何かしらの偏ったイデオロギーの発露と受け止められてしまいかねません。
なおかつ、寄らば大樹の陰的な倫理観が支配的で、お上に文句を言うのは煙たがられます。
民主主義国家として当然の前提が、この国では共有されていないんですね。

…と、話がどんどん散らかっていきましたが、被服産業の視点で持続可能な社会について点で考えてみても、有機的にほかの要素と関連してしまいます。

サステナファッションとやらを売り買いしたところで、先はあまりにも遠い。

自然環境や労働問題、経済格差の問題に意識を向けること、それをファッション化すること自体は、決して悪いことではないと思うんです。
こうしてトレンディなキーワードとして敷居を下げ、間口を広げることで多くの人に気軽に意識を向かせることができるというのは、メリットでもあります。
が、それにしても多くの場合、その思想すら感じられません。

結局のところ、アパレル業界はまず無駄なものを多く作りすぎる、この現状に手を入れるしかないわけです。
大量生産を前提とした工場の経営や雇用はどうなるんだという指摘もありますけど、そのシステムも改善していくしかないでしょう。

服屋がこんなことを言うのもどうかと思いますが、この世には服屋や服が多すぎます。

適正価格の製品を、適切な量生産し続ける。
被服産業という小さな視野に絞ってみると、これこそが望ましい持続可能なシステムかと思います。

そして、きちんと買う人が欲しいな、使い続けたいなと思える、愛着の湧くものをデザインすること。
それを丁寧に売ること。

そのためには品質も大切です。
妙な例えですけど、高品質のトイレットペーパーと、再生パルプを使用したガサガサのトイレットペーパー。
買い替えながら使い続けたいのって、ふつう前者じゃないですか。
道義的な理由がなければ、経済的な事情以外で後者を選び続ける(選び続けたい)なんてことは、よほどお尻が丈夫でなければないはずです。
「再生パルプです!”サステナブル”です!」と言ったところで、求められるのは製品の心地好さですから。

旧式の「次はコレだ」的な業界主導のトレンドも、もういい加減止めにしましょう。
流行なんて、本来は企業発信ではなく自然発生的なもののはずですよね。
それにこのトレンド作りのカラクリは、もう多くの人たちに見破られだし、ソッポを向かれつつあります。

先述の通りある一定の意義は認められるものの、逆説的に「サステナブル」が軽薄なトレンドワードと化していること自体が、その目線の先がサステイナブルな社会へ向かっていない表れなのではと、そう思えてなりません。


2件のコメント

  1. 本稿たいへん共感いたしました。仰る通りだと思います。微力ながら応援しています。

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