アイデン&ティティ ~ ASEEDONCLOUD/ Kiokushi pull on knit

ここではないどこか。
その土地に暮らす人びとは、”記憶の保管庫”に大切なものをしまい、ときにそこで思い出を振り返るそうです。

“記憶の保管庫”に保管されている思い出の品には、それを辿ることができるよう地図が添えられています。
その地図を作っているのが、4人の”記憶士”です。

彼らはそれぞれ東西南北に分かれ、記憶の保管庫に残された品をもとに、馬に乗ってその場に向かい、少しずつ地図を埋めていきます。

馬に跨り、目的地に向かう。
彼らが正装するのはその場面と聞きます。

そして現地に到着し、下馬して”記憶”を拾い集め、地図を描く、そのときは一種の作業着を身に纏うとのこと。



作業着と言ってもいわゆるワークウェア的な服に限りません。
このKiokushi pull on knitも、彼らからすれば合理的な理由を持っています。

目を惹く編み柄は、マジャル人がかつて着ていたブラウスの刺繍をもとにしています。

マジャル人、すなわちハンガリー人のことですが(現在でもハンガリーは自国をマジャロルサーグMagyarország、あるいはマジャルMagyarと称しています)、現在では定住しているとはいえ、もとを辿れば遊牧騎馬民族です。

元始、ウラル山脈(現カザフスタン~ロシア)の南西部の草原に暮らしていたようで、夏は家畜を連れて遊牧し、秋から春にかけて冬営地で農耕を行う半遊牧生活を送りながら、より住みよい土地を求めて西へ西へと移動していきました。
5~6世紀ごろアゾフ海北岸に到達、その地でトルコ系ブルガール人部族オノグルOnogur(10本の矢を意味するそうです。10部族によって構成されていたことからそう呼ばれたとか)と接触し、混交し一体化していきました。
なお、このオノグルが訛って伝えられてハンガリーという呼び名が生まれたと推定されています。
黒海北岸からバルカン半島を経由して、10世紀ごろハンガリー平野に到達。当時はその持ち前の強力な騎馬部隊で東中欧各地にて略奪を繰り返し、同時期に北の海岸で猛威を振るったヴァイキングと並び恐怖の対象とされていたようです。

歴史的に多くの民族と交わり、文化的影響のみならず混血も繰り返されていますが、それも遊牧民族のアイデンティティのひとつと言えるでしょう。

そういえばハンガリーはいまも乗馬の聖地と云われており、観光資源として重要な資源と位置づけられています。
これもまたマジャル人の国ならではですね。

そんな遊牧民族ですから、かつては必然的に荷物も少ない状態で生活せねばなりませんでした。
そのため、服に刺繍などの意匠を施すことで、一種の身分証としての役割を持たせたと云われています。

話を戻すと記憶士たちは馬から降りて辺りを散策するとき、動きやすい軽装となりますから、移動時の出で立ち(正装)と違って、現地の人からは何者なのか判断がしづらいなんてこともままあるというのは、想像に難くありません。

そのため、この複雑な柄が彼らの身分を証明する手がかりとして役に立つわけです。

なお、素材はオーストラリア産の若羊の毛とタスマニア産ファインメリノをブレンドしたウールに、綿、アクリルを加えたもので、ふっくらとした質感ととろんと落ちるような心地好い重さを併せ持っています。
望ましい防寒性は備えながらも、暑くなりすぎず、快適に”記憶”拾いを行うことができます。

決して定義通りの「機能的な服」でなくとも、ときにはそれ以上に機能的な服たりうる、そうした視点の重要性に気づかされるニットですね。

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