ランドスケープと人の装い

当店のすぐ近く、せきれいの道沿いに、建築家の横河健さんが設計した建物が佇んでいます。

仲町台近隣の方なら、「FRESCOさんの建物」といえば伝わりますかね。

きわめてモダンであるにもかかわらず、のどかな片田舎である仲町台の緩やかな空気を壊すことなく、景色の一部として溶け込んでいる、実に素晴らしい建物です。

数年前まで、横河さん自身も長らくこの上階に事務所を構えていらっしゃいました(いまは東京に移転し、元事務所はフランスの会社のオフィスになっているようです)。

お話を伺ったのも10年ほど前ですので、だいぶディテールは曖昧になっているものの、以前この建物についていろいろと教えていただいた際、「ランドスケープの一部としての建築」という視点をとても大事にされているのがとても印象的でした。

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横河さんの著書『美しい住宅へ』を繙いてみますと、その考え方が随所に述べられています。

仕事の依頼があっても、ここには建てない方がいいんじゃないかと言って仕事をなくしたこともありますし、敷地を代えてもらったこともあります。なかなか難しいことなのでしょうが、でも、その地域にとって建てようとしている建築がふさわしいかどうか考えることも、建築家にとって大切なテーマだと思うのです。
(中略)
設計を志す学生さんと話をしていて、何がよいものなのかを見る目をどん欲に養ってほしいと感じることがあります。そのためには、贅沢な暮らしをしてほしいというわけではありませんが、自分自身の生活にきちんと向き合うことが大切です。そうしないと、トイレの扉の前にご飯を食べる場所をつくってしまったり、ただ流行りごとを追いかけてしまったり、それがどういうことかわからないまま、あまりにも貧しい感覚で設計をすることになってしまいます。建築の設計とは機能的なことはもちろん、人の気持ちをつくる仕事なのです。

日本らしさとは必ずしも和風建築に限ったことではないと思います。……明治の西洋にならってつくられた洋式建築ですら、日本独自の形を持っています。

この本を読み進めていて気づいたのは、建築とファッションとの近似性でした。

どちらも必要最低限のものやトレンディなものをローコストにつくることはできますし、現代の貧しい社会情勢ではそれが強く求められているのも仕方ないことですが、それだけが「正しい」というのは、あまりにも殺伐としています。

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そして、横河さんの仰るところのランドスケープとの関係性もまた、実はファッションと無縁ではないのではないかと思うようになりました。

それに薄々気づきはじめたきっかけが、昨年からはじまった出張ユーフォニカ。

大阪、仙台、東かがわ、名古屋、富山ときて3月にも諏訪にお邪魔しますが、こうして実際にいろいろな土地に足を運んでみると、同じ日本といってもほんとうに違うなと実感します。

風土、食べ物はもちろん、ファッションの傾向にしてもそうです。

この仕事をしているとつい「いまのトレンドは**だ」とか「最近の若い人は**なファッションを好む」なんて大雑把なことを考えてしてしまいがち。

しかし、仲町台~東京の往復程度の生活圏内でそんな分析をしたところで、それはしょせん南関東ローカルの流行の話に過ぎません。

たとえば東京と大阪を較べても、ファッションの傾向はまるで違いますよね。

この二都の違い、少なくとも江戸時代にはすでにだいぶはっきりと分かれていたとか。
時代はややずれているものの、上方発祥の元禄文化、江戸発祥の化政文化の特色の違いを見てもそれは理解できます。

ちゃんとしたデータをとっているわけではないのですが、おおまかに関ケ原あたりを境として(かつてこの地で天下分け目の戦いが行われたのも納得ですね)、東日本と西日本でも好まれる装いの「温度感」のようなものが分かれるように感じます。
大雑把にいえば、東は「冷たい」、西は「暖かい」。

東日本、とくに関東地方は色温度が低く、さらりとした質感の生地が好まれる一方で、西日本では色温度が高く、表情が豊かな生地が好まれるようです。
また、重ね着やアクセサリーといった「要素」も、東日本にくらべ西日本ではどんどん足していくお洒落が目立ちますね。

そしてもちろんそうした差異は東京と大阪、東日本と西日本、といった二分に限りません。

大きな流行というのは概ね大都市で発生し周囲に向けて拡がるものですが、そうはいっても各地にそれぞれ独自の特色があり、独自の文化が生まれています。
南北に長い日本列島は地域によって気温や気候がまるで異なり、その地理的影響も無視できないというのも自明のこと。
地理的な要因が人々のライフスタイルに影響を及ぼし(たとえば波に恵まれていればサーフィンを嗜む人も集まります)、ライフスタイルはファッションに影響を及ぼすものです。

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面白いことに、どの土地であっても、その地域ごとの人びとの装いの傾向は、必ずその地域の雰囲気に調和します。

東京の人はなんとなく東京らしく、大阪の人はなんとなく大阪らしく、名古屋も、香川や富山も、そして横浜も…
「この土地の人はみんな街並みに合わない雰囲気だな」なんて感じることはありません。

おそらく、自覚的にせよ無自覚的にせよ、そこに住む多くの人がその土地のランドスケープに馴染むような服の選び方、組み合わせ方をしているということなのではないでしょうか。

「そんなことないよ~」と思われるかもしれませんが、「どこ」でなく「いつ」の角度からランドスケープをとらえてみると、どうでしょう。

春と秋、気温は大して変わらないのに、なぜ春服と秋服の雰囲気が真逆と言っていいほど違うのか。
そしてなぜ我々はその違いを抵抗なく受け入れることができるのか。

それは太陽光線の強さ、空の色、木々の葉の色などが異なるからです。

これもまた、ランドスケープによって選択が変わるということになりますよね。

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服に関してよく聞く悩みのひとつが、「何をどう着たらいいのかわからない」。

インターネットやSNSでは、こうした問いに対してわかりやすく端的な「正解」「不正解」を与えるコンテンツが人気です。

やれどんなブランドが旬だとか、「コーデ」がどう、とか…

けれど、どの言説もどこか薄っぺらく感じてしまうのは、このランドスケープの視点が欠けているからではないかと思います。

不特定多数に向けて普遍的な「正解」を提示する以上、特定的条件であるランドスケープが前提から除外されてしまうのは致し方ないのですが、それゆえにどうしたって表層のテクニック、小細工の話に留まってしまうのでしょう。

もちろん、「個」を追求し、敢えてランドスケープから逸脱するというのもまた、ファッションの選択肢のひとつとして成立します。
が、その結果が客観的にどう見えるのかという判断材料のひとつとして、ランドスケープから解放されることはありませんし、いやむしろその逸脱によってランドスケープとの紐づけがより強く意識されてしまうことにだってなり得ます。

蓋し人の装いとは、ランドスケープなしに成立しないものなのかも知れません。


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