(この記事は2018年6月27日にFACYにて掲載されました。FACYサービス終了に伴い、先方の許諾を得てアーカイヴとして転載しています)
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フリッパーズ・ギターに始まり、その末期には宇多田ヒカルやaiko、椎名林檎などが揃ってデビュー。MDやウォークマンの台頭から、日本史上一番CDが売れた98年へ。ファッション業界が類を見ない発展を見せた90年代は、同時に音楽も避けて通れない時代でもありました。
そして2018年はもっぱら90年代リバイバルな風潮。この機会に、90年代に青春時代を過ごした方とともに当時を振り返ってみましょう。
今回はFACYの人気企画「90年代座談会」の発起人である、横浜「Euphonica」オーナーの井本 征志さんに90年代から、その流れを汲む2000年代までのリアルな音楽体験を語っていただきます。この日のために用意していただいた、思い出の写真やCDとともに、どうぞ。
井本 征志/Euphonica店主
1978年生まれ。横浜・仲町台にある洋品店「Euphonica」のオーナー。ショップコンセプトは、仲町台という地域に密着した「町の洋品店」。軽妙洒脱な語り口で商品を紹介するブログ「高慢と偏見」は、そのマニアックさでも服好きの間で人気を博している。
きっかけは「オリジナル・ラヴ」
− 音楽を聴き始めたのはいつからですか?
最初にCDを買ったのは、オタク少年だった中学1年生のとき。『ロードス島戦記』(*1)というOVA(*2)作品のサントラです。いわゆる”ファンタジー”ものなのですが、アニメや小説、ゲームなど、いろいろな媒体をまたぐメディアミックスの当時の代表格でもあるんです。
アニメのサントラと言ってもバブル真っ盛りの時代なので、フルオーケストラを使うなど、お金がとてもかけられています。これを聴くと悠久の時の流れと言いますか(笑)、作品の世界に浸れますね。
そのあともリンドバーグやWANDS、ドリカム、米米CLUBといった当時の流行歌を聴いていて、ごく一般的な中学生リスナーだったと思います。
でも、この写真で履いているスニーカーをダサいと言われた(*3)のをきっかけに、いろいろな雑誌を読み漁るようになるんです。
− そこから本格的に音楽に興味を持ち始めたのはいつですか?
高校1年生の夏ですね。中学生のときやっていた石田純一が主演のドラマ(*4)でオリジナル・ラヴの『接吻』を聴いて何だか大人っぽいなと思ったのを覚えていて。とりあえず、その曲が聴きたくて軽い気持ちでベスト盤『SUNNY SIDE OF ORIGINAL LOVE』を買ったんですが、自宅のラジカセで一曲目の『スキャンダル』のイントロが流れた瞬間、震えてしまった。
音楽にも「お洒落」と「お洒落ではない」があることをこの瞬間知ったんです。
それからは、ファッション雑誌で読み飛ばしていたアーティストのインタビューやアルバムのレビューにも目を通すようになりましたね。一時期は選ぶ服もテカテカした”田島貴男感”のあるものが増えてきて、今思うとかなり感化されていました(笑)。
*1 ロードス島戦記:80年代後半から90年代前半にかけて人気を博した、水野良によるファンタジー小説。シリーズの発行累計部数は1000万部を超える。もとは『コンプティーク』誌にて海外のゲームを紹介するための一企画だったが、その世界観やストーリー、キャラクターの人気が高まったことで小説化した。
*2 OVA:オリジナル・ビデオ・アニメーション。TVや映画作品をビデオ化したものではなく、最初からソフトの販売やレンタルを主な販路として製作されるアニメ作品。なお、先述の『ロードス島戦記』は全13巻が発売され、累計出荷数は55万本。
*3 ダサいと言われた:昨年公開されたFACYの90年代座談会を参照。
*4 石田純一が主演のドラマ:1993年に日本テレビ系列で放送されたテレビドラマ『大人のキス』。主演は柴田恭兵と石田純一。オリジナル・ラヴ『接吻-kiss-』は主題歌として使われた。
そして、「渋谷系」へ
田島貴男がオリジナル・ラヴでデビューする前に入っていたというところからピチカート・ファイヴを聴くようになって、いわゆる渋谷系サウンド自体に興味を持ったのはそこから。
ちなみに”渋谷系”という言葉は、田島貴男が渋谷公会堂のライブで「俺は渋谷系じゃねー!」と叫んだという逸話(*5)で知ったんです。
僕は聴き始めが遅く、世代的にも渋谷系末期ということもあって、そのへんは基本後追いです。フリッパーズも通っていません。
オリジナル・ラヴは別格として、渋谷系の中で特に好きだったのはラヴ・タンバリンズ。このバンドはリアルタイムでした。渋谷系のメインストリームとは一線を画した黒っぽい音作りが特徴です。僕にとっては彼らのアルバム『Alive』が高校時代の夏を象徴する音ですね。
そのあとハマったのは、東京No.1ソウルセット。
初めて聴いたのは『ヤード』という曲でした。淡々とつぶやくラップにサビの甘いヴォーカル、やけに壮大なトラックの組み合わせが衝撃的で、それまでまったく体験したことがない音楽だったのに、だんだん癖になっていって。今もこの曲の入ったアルバム『Jr.』を聴くと、当時の原宿の空気感を思い出します。
−アーティストの情報はどこで手に入れていましたか?
音楽にめっぽう詳しい放送委員の木村君という友人が高校にいたんですが、彼の存在は大きかった。あとは雑誌です。渋谷のレコードショップや洋服屋とかのフリーペーパーコーナーもチェックしていましたよ。特に好きだったのは去年の座談会でも触れたフリーペーパーの『Dictionary』で、 MONDAY満ちるやフィッシュマンズ、小島麻由美、サニーデイ・サービスなど、それを通して知った音楽は数えきれないほど。
yes, mama ok? もそんなバンドの一つです。後にエアギターで有名になる金剛地武志さんが率いていたバンドで、シーケンサー(*6)が壊れたことが理由で小洒落たポップな打ち込みサウンドを止めてガレージ(*7)っぽいサウンドに転向したり、メジャーレーベルから出したアルバムにも半分くらい曲らしい曲が入ってなかったり、結局それで契約切られちゃうし、結構めちゃくちゃなんですよ(笑)。でもちゃんと作った音楽はどんな曲調であってもメロディーが素晴らしく美しい。天才です。
ジャケットも味があっていいですね。yes,mama自体が美大出身のバンドで、メンバーの一人(*8)がアートワークを担当しているんです。
2000年に出た『CEO』というアルバムは発売直後にレーベルの親会社が倒産した関係で500枚ちょっとしか流通していないらしい(*9)んですが、僕は当然発売日に買っていますし、新宿ロフトのレーベル発足記念イベントにも行きました。それくらい、高校時代から大学時代にかけて熱中していたバンドです。
*5 「俺は渋谷系じゃねー!」と叫んだという逸話:当時渋谷系とカテゴライズされることを嫌っていたオリジナル・ラヴの田島貴男氏が1994年7月の渋谷公会堂のライヴで叫んだと伝えられ、当時話題になった。
*6 シーケンサー:デジタル楽器の演奏を記録、再生するための機械。
*7 ガレージ:ガレージロック。アマチュアバンドが車庫(ガレージ)で練習していたことから発生した言葉ではあるが、その定義は曖昧。傾向としてシンプルで初期衝動的なロックを指すことが多い。
*8 メンバーの一人:現デザイン事務所KLOKAの代表である高橋晃氏。当時は所属レーベルLD&Kの社員としてデザイン業務を担当していた。
*9 500枚ちょっとしか流通していないらしい:金剛地氏自身がプロデュースする「エチケットレコーディング」は2000年に10数組のバンドを抱えたインディーレーベルとして本格的に発足、『CEO』はその第一弾として発売された。しかしそのわずか一ヶ月後に親会社倒産によりレーベルが消滅。同時に『CEO』も廃盤、店頭から回収となる。そのため市場に出回った数が極めて少なく、一時期プレミア価格がつき10万円ほどまで跳ね上がったが、のちに再販し、相場が落ち着いた。
夢中で「ディグ」した大学時代
− 井本さんが大学に入られた1997年以降はどんな音楽を聞かれていましたか?
たまたま勧誘されてベターデイズ(*10)という軽音楽サークルに入りまして、そこは学内でも特にひねくれた猛者が集まるところでした。
それまでは渋谷系といったメジャーなカテゴリーや、ファッション誌、『ROCKIN’ON JAPAN』といった、特に探さずとも日常生活の中で接しやすいものを聴いて悦に入っていましたが、そこで同年代の友人たちの聴く音楽の幅広さや造詣の深さに驚いたわけです。
それで、彼らの影響でいろいろなジャンルの音楽を聴いた上で日本の古い音楽を振り返ると、実は意外と面白いということに気づいたんですよ。聴き方がわかってきたんですね。
そんな当時世間で盛り上がってきていたのが、昭和40年代の歌謡曲やGS(*11)を再評価するいわゆる“和モノ”と呼ばれるムーブメント。
サークルの友人たちが在籍していたダ・ヒップスやシャルネといったバンドが若手の旗手として注目されるようになって、彼らが参加していたザ・ヘア(*12)のあいさとうさんのイベントや、音楽ライターのフミヤマウチさんと北沢夏音さんのイベント、大学の裏にあった戸川昌子さん(*13)の経営していた「青い部屋」なんかにも遊びに行っていました。
とはいえ、僕個人はそういったシーンの当事者というわけでなく、あくまで友人の出るイベントとして軽い感じで顔を出していただけなんですけどね。そこで流れる音楽とかその場の文化的な雰囲気はもちろん大好きでしたが、着るものとかはまったく感化されなかった。
それでもあの同時代感は特別で、とても楽しかったし、いい思い出ですね。
その文脈で当時聴いていたのは、たとえばフード・ブレインという70年代の日本のプログレ(*14)バンド。
パワーハウス(*15)の陳信輝、ザ・ゴールデン・カップス(*16)のルイズルイス加部、エイプリル・フール(*17)の柳田ヒロ、そして角田ヒロ(*18)と、60年代に活躍した凄腕ミュージシャンが揃っているんですよ。
唯一リリースされたアルバム『晩餐』は、ルイズルイス加部の「ブィンブィン」うねるベースに痺れます。
− 日本の音楽を幅広く掘られていたんですね。
日本の音楽、とかで絞って深く入れ込めないタチだったので、並行してそのころ人気だった海外の音楽もかいつまんで聴いていました。
ルシンダ・シーガーをはじめとするネオアコから、クラブ8やシュペールといった北欧のポップス、スペインのインディーギターポップレーベルなど、特にこだわりなく。
そういう音楽はタワレコとかの大手だけでなく、渋谷の「ZEST」「maximum joy」、吉祥寺の「warszawa」といったレコ屋さんに行って買っていました。
また、当時は再発ブームで、市場ではどんどん古今東西の知られざる名曲、名盤が発掘されていたんです。80年代にハワイのバスの運転手さんたちが趣味でやっていた素人バンドの自主制作盤なんかも普通に復刻していましたね。
*10 ベターデイズ:かつて青山学院大学に存在した軽音楽サークル。サザンオールスターズのメンバーの大半が一期生で、その名は『Ya Ya(あの時代を忘れない)』の歌詞にも登場する。以後も、小西康陽氏をはじめとするピチカート・ファイヴ初期メンバーや元オリジナル・ラヴの宮田繁男氏、元フリッパーズ・ギター井上由紀子氏、フジファブリックの金澤ダイスケ氏など多くの著名ミュージシャンを輩出。音楽業界だけでなく、雑誌編集者やファッション業界にも出身者は多い。
*11 GS:グループサウンズ。昭和40年代前半に日本の若者の間で大流行した音楽のジャンル。グループ全員で演奏していたことから加山雄三氏によって名づけられたとされる(諸説あり)。代表バンドにザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズなど。
*12 ザ・ヘア:80年代にモッズバンドとして登場、その後GSやジャズロック、ネオアコと音楽的にも変化を繰り返しながら現在も活動中。リーダーのあいさとう氏が90年代後半に新宿JAMで主催していたイベント「R&B天国」は、和モノムーブメントの震源地となった。
*13 戸川昌子:シャンソン歌手にして推理作家。2016年没。1967年渋谷に開いたサロン「青い部屋」には三島由紀夫、川端康成、寺山修司、美輪明宏、岡本太郎、なかにし礼など数多くの文化人が通った。青い部屋は2000年に改装、クラブカルチャーと融合し、様々な文化が入り混じる場として多くの若者に愛された。
*14 プログレ:プログレッシブ・ロック。前衛的・実験的なロックやクラシック寄りのロックなどの総称。その楽曲は複雑で技巧的な傾向が強い。1960年代にイギリスで生まれたが、日本でも独自に進化を遂げた。
*15 パワーハウス:1960年代に横浜や米軍基地を中心に活動していたバンド。オリジナル曲は作らず、海外のロックやポップスをブルーズ調にアレンジして演奏していた。日本初のブルーズロックバンドとされる。
*16 ザ・ゴールデン・カップス:横浜発のGSバンド。その演奏力、不良性、先進的なセンスは一般的に大衆アイドル的な扱いを受けていたGSの中で異彩を放っていた。ベースのルイズルイス加部氏やキーボードのミッキー吉野氏はデビュー前のパワーハウスにも在籍、後期ベーシストの柳ジョージ氏もパワーハウス解散後カップスへ加入している。2004年には彼らの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『ワンモアタイム』が公開された。
*17 エイプリル・フール:当時日本で人気だったブルーズロック的なロックと異なり、鍵盤を多用し先鋭的な実験音楽を志向していたが、1969年のわずか数ヶ月間のみと活動期間はきわめて短かった。ヴォーカルに小坂忠氏、ベースに細野晴臣氏、ドラムに松本隆氏(細野氏と松本氏の二人はエイプリル・フール解散直前にヴァレンタイン・ブルーを始動。のちに”はっぴいえんど”へ改名)と、後年の日本音楽界の重要人物たちが若かりし頃に在籍していたバンドとしても知られている。
*18 角田ヒロ:現つのだ☆ひろ。『メリー・ジェーン』のイメージが強くソウルフルな歌手として名高いが、本来はドラマー。高校在学時にプロデビューを果たし、その後多くのミュージシャンと共演した。漫画家のつのだじろう氏は実兄。
深さ”から”心地よさ”の追求へ
大学を卒業して働き出してから、音楽を闇雲に掘るのではなく、部屋でお酒を飲みながら聴けるような、落ち着いた音を探し始めたんです。インテリアとか照明に関心が向きだしたのもこの頃。
最初に聴き始めたのはバンドネオン奏者のアストル・ピアソラ。アルゼンチンタンゴですね。
それからはラテン音楽の文脈をたどって、テノーリオ・ジュニオルやキンテート・テルヌーラといったブラジルもの、キューバで生まれたフィーリン(*19)という音楽も聴いていました。
00年代半ばに好んでいたのが甘めのヒップホップ。当時出たKERO ONEの1stアルバムが気持ち好くて、それからジャジーヒップホップといったジャンルを中心に聴いていました。
ちなみにその当時の写真を見ると僕が着ているのはなぜかアコースティックギターメーカーであるMartinのTシャツ。”ヒップホップ感”はゼロ(笑)。高校時代を除き、僕は服装に関しては一貫して聴いている音楽のジャンルからの影響は受けていません。
甘めの音楽をある程度聴いていたらちょっと飽きてきちゃって。
ピアソラが3枚の名盤を出していたアメリカン・クラーヴェというレーベルや、その創設者のキップ・ハンラハン関連の音楽が改めて気になって、そこの辛口な音源をよく聴くようになりました。特に好きなアルバムは『千夜一夜物語(A Thousand Nights and a Night – 1.Red Night)』で、湿り気と暗さと、暴力性が強いのに知的なピアノやパーカッションの音が最高なんです。
そのころ私生活上では、娘が生まれました。育児するときに「洗濯がしやすいものを」というのと、仕事で肉体作業も多かったのもあって、自然と当時の服装は比較的アメカジ寄りでした。
ジャンルによる影響はなくても、生活のリズムが変わると自然と聴く音楽も変わるので、結果的に音楽の嗜好の変化のタイミングで服装が変わっています。
ちなみに今は特にこれといった特定のジャンルでは聴いていません。
過去に買った音源を気分で聴いたり、人から教わった音楽をYouTubeで聴いたりと広く浅く楽しんでいます。
ただ、最近の音楽ももちろん好んで聴いていますが、結局初めてオリジナル・ラヴを聴いた時の衝撃に勝るものはずっと見つけられなくて。感受性の強い学生時代に聴いた音楽って、いつまでも特別な存在なんだと思いますね。
*19 フィーリン:1940年代から60年代にかけてキューバで人気だった歌謡曲のジャンル。それまでのボレロやトローヴァといった音楽にジャズの要素が組み合わさって生まれ、その曲調は非常にメロウ。
目まぐるしく進化していった”聴き方”
− 90年代から2000年代にかけてはカセットからMD、そしてmp3プレイヤーと音楽の再生環境も大きく変化した時代でもありますが、井本さんの場合はどうでしたか?
最初に使っていたのは実家にあったラジカセで、 その後はミニコンポでした。好きな音楽をミックスした”俺ベスト”のカセットをよく作っていて、通学時ウォークマンで聴いたり友だちにあげたり。
たまに奮発してハイポジションやメタルポジション(*20)のものを使っていましたね。とはいえ中高生の時分でしたから、実際音の良し悪しなんて何もわかってませんでしたけど(笑)。
そのあとに出てきたMDは曲名がちゃんと表示されるから感動したな。
あとCDウォークマンも使っていました。最初の頃はディスクマンと呼んでいたような。すぐに音飛びするのが困りもので、対策として移動中音楽を聴くときはプレイヤー本体をズボンの股間に収めるという独自の発想をする友人がいました(笑)。
ちょっと遅いんですが2000年代半ばごろになってmp3プレイヤーに手を出し始めて、最初はiPod nanoを買いました。で、そのあとはiPod Classic。今はスマホで聴く時もありますが、まだiPodがメインですよ。
− オーディオへのこだわりはありますか?
iPod nanoを買ったときから、「Bang & Olufsen(以下、B&O)」のイヤホンA8を使っていました。ヘッドホンのForm2も持っています。B&Oは中学生の頃から憧れていたんです。
別段オーディオに詳しいわけでも何でもないんですけど、社会人になってからふとした縁でMcIntosh(*21)のアンプを手に入れたので、自宅ではそのパワーに負けないBowers & Wilkinsのスピーカーを使っています。
音質について言えば、低音と高音が強調されたドンシャリ型はあまり好きじゃない。特に僕は数年前に突発性難聴をやっているので、強い音がつらいんです。
その点B&Oは音が優しいんですよ。見た目も洗練されていて、僕にとっては願ったりかなったりなブランドですね。
*20 ハイポジションやメタルポジション:カセットテープの種類。一般的なノーマルテープとは、テープに塗布された磁性粉が異なる。ハイポジションはノーマルより高額で、メタルはさらに高額だった。なお、ハイポジやメタルを高音質で聴くにはデッキにて設定の切替えが必要。
*21 McIntosh:マッキントッシュ。アメリカのオーディオブランド。ゴム引きコートともアップル社製品とも関係はない。
『B&O PLAY』で新しい音楽体験。
− ヘッドホンを試聴する時は、どんな音楽を選びますか?
録音環境が良くて、アコースティックな音源が良さそうですね。キップ・ハンラハンがいいかな。
− どうです?サウンドの第一印象は?
自然で音の抜けがいいです。パーカッションも瑞々しくて、臨場感がある。とても気持ちいいです。
ヒップホップも普段とは違った聴き方ができますね。今ここにある音源だと、音が温かい Zo! (ゾー!)は特に相性がいい。ヒップホップの場合、低音がドスドスとくるとかこもるとかで、音質云々は二の次なイメージですけど、「Beoplay H8i」はまろやかに聴かせてくれるんですね。
イヤーパッドが適度に硬くて、フィット感が抜群に良いです。ラムレザーを使っているから肌触りもしっとり滑らか。あとはワイヤレスでも聴けるから動きの邪魔にもならない。ほとんど無音なくらいノイズキャンセリング機能が高いところも嬉しいです。五万円弱というちょっと高めな価格でも納得できる音質と快適さだと思います。
ワイヤレス仕様と高音質を両立した「Beoplay H8」の機能はそのままに、業界トップクラスである約30時間の連続再生にも対応したモデル。電車や飛行機内でも騒音に邪魔されないアクティブノイズキャンセリング機能に加え、ワンタッチで周囲の音を聴ける「Transparency Mode」や、着脱を感知して音楽の再生や一時停止を行う「インテリジェンスセンサー」も搭載している。
Bang&Olufsen(バング&オルフセン)
デンマークを代表するオーディオ・ビジュアルブランド。クリアでなめらかな音質はもちろんのこと、数々の有名デザイナーが手がけたデザインや、人間工学に基づいた確かな使用感も、ハイセンスなオーディオマニアから絶大な支持を得ている。2014年に、世界観やクオリティはそのままに、スマートフォンやタブレットPCとの親和性をより高めたカジュアルブランド『B&O PLAY(ビーアンドオー プレイ)』をスタート。