走れキムラ ~ KIMURA/ 5needles/21pitch shirt

キムラは激怒した。

必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
キムラにはマスマーケット向けビジネスがわからぬ。
キムラは、フリーランスのデザイナーである。
布を裁ち、ミシンと遊んで暮して来た。
けれども安易な服作りに対しては、人一倍に敏感であった。

きょう未明キムラは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のソドムの市にやって来た。
上等な生地やら柏レイソルのグッズやらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。
先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。

けれども、なんだか、夜のせいばかりでは無く、市全体が、やけに寂しい。
のんきなキムラも、だんだん不安になって来た。
路で逢った若い衆をつかまえて、何かあったのか、まえに此の市に来たときは、夜でも皆が歌をうたって、まちは賑やかであった筈はずだが、と質問した。
若い衆は、首を振って答えなかった。
しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。
老爺は答えなかった。キムラは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。
老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。

「王様は、3本針でワークテイストの服を作ります。」
「おどろいた。国王は乱心か。」
「いいえ、乱心ではございませぬ。それで、ワーク調を表現できる、というのです。きょうは、たくさん売れました。」
聞いて、キムラは激怒した。
「呆れた王だ。生かして置けぬ。」

キムラは、単純な男であった。
買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。
たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。
調べられて、キムラの懐中からは裁ちばさみが出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。
キムラは、王の前に引き出された。

「このはさみで何をするつもりであったか。言え!」王様は静かに、けれども威厳を以て問いつめた。
「もっと凄い服を作るのだ。」とキムラは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑した。
「仕方の無いやつじゃ。おまえには、効率的なアパレルビジネスがわからぬ。」
「言うな!」とキムラは、いきり立って反駁した。
「何が3本針だ。私は、そんなものでは満足しない。」
「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。
「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、新作を思いつかなくなってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、命乞いなど決してしない。ただ、――」
と言いかけて、キムラは足もとに視線を落し瞬時ためらい、
「ただ、私に情をかけたいつもりなら、三日間の日限を与えて下さい。今から作ってきますので。三日のうちに仕上げて、必ず、ここへ帰って来ます。」
「ばかな。」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。
「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」
「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。よろしい、この市にユーフォニカという服屋がいます。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あのおじさんを絞め殺して下さい。たのむ、そうして下さい。」
それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。

ユーフォニカは、深夜、王城に召された。
ユーフォニカは、縄打たれた。
キムラは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。

キムラはその夜、一睡もせず十里の路を急ぎに急いで、自宅に着くや否やシャツを作り始めた。

眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。
キムラは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。
身仕度は出来た。
さて、キムラは、ニットキャップを目深に被って、矢の如く走り出た。

ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。」
「私にはシャツの他には何も無い。」
「そのシャツを、見せて欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」

キムラはシャツの説明を始めた。

「このシャツは、140双のブロードで仕立てられている。」

なめらかな肌触り、しっとりとしたやわらかさが何とも魅力的で、いつまでも触っていたくなる生地である。

「見よ。」

「王が3本針なら、私は5本針だ。脇と、二枚袖の縫製が5列になっている。しかし、5本針のミシンなど存在しない。なので私は5回ずつ縫った。」

山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。
キムラはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが、もう少し説明を聞いてもらおう!」と猛然一撃、たちまち殴り倒し、
「そのステッチも、3cm間隔の中に21発打ち込んでいる。」

「ドレスシャツでは、極力肌に触れる部分を少なくするため、縫い代を3mm幅くらいに抑えるのだ。」
キムラは続ける。
「私はその3mm幅の中に5列のステッチを入れた。繰り返すが、1列ずつ縫って、5列だ。」

残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。

私を、待っている人があるのだ。
少しも疑わず、静かに期待してくれている多くのキムラファンがあるのだ。
私は、信じられている。
走れ!キムラ。

路行く人を押しのけ、跳ねとばし、キムラは狂犬のように走った。
キムラは、いまは、ほとんど全裸体であった。

キムラは走った。
キムラの頭は、からっぽだ。
何一つ考えていない。
ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。

陽は、ゆらゆら地平線に没し、まさに最後の一片の残光も、消えようとした時、キムラは疾風の如く刑場に突入した。間に合った。

「私だ、刑吏!キムラだ。彼を人質にした私は、ここにいる!」と、かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り、釣り上げられてゆくユーフォニカの両足に、齧りついた。

群衆は、どよめいた。ユーフォニカの縄は、ほどかれたのである。

「ありがとう、友よ。」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

群衆の中からも、歔欷の声が聞えた。
暴君は、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳。」

ひとりの少女が、シャツのようなカーディガンのような、なんとも素敵な服をキムラに捧げた。
キムラは、まごついた。
服屋は、気をきかせて教えてやった。
「キムラ、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのシャツカーディガンを着るがいい。この可愛い娘さんは、キムラの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

勇者は、ひどく赤面した。

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