今でこそアンダーシャツや靴下など、多くの素晴らしいラインンアップを揃えるまで成長したOlde Homesteaderも、最初はトランクスだけのブランドでした。
実際当時でさえはっきりとそう感じましたが、今振り返ってみても狂気の沙汰です。
そう、彼と初めて会った大雨の日から、3年の月日が過ぎました。
初対面なのに爛々とした目で熱くトランクスの可能性やトランクスの未来について語るさまは、今でも強烈な印象が刻まれています。
それほどトランクスへの執着は強いようで、この時代に於いてもなおボクサーブリーフを作らない稀有な肌着ブランドとして、独特過ぎるポジションを築いてきました。
そんなOlde Homesteaderが作り上げたボクサーブリーフとなれば、それだけで只事でないのはお解りいただけるはずです。
まず、通常腰に通されているはずのゴムがなく、両脇に紐が設けられ、ゴムとは異なるフィット感を味わうことができます。
なお、この紐は使い込んでいくに従い先端が若干ほつれてきますが、それはほつれ防止の処理を施すことで先端が硬くなり、穿き心地を損なってしまうから。
次第にほつれは収まるため、それによって紐が短くなることを計算したうえで、必要な分より若干長めに設定されています。
腰のタグも肌に触れないよう、敢えて表側に縫い付けられました。
裏面の仕上がりも当然のように美しく、裏返してもわからないほどです。
生地にはTシャツに採用されていたヘビーウェイトリブをベースにしながらも、さらなる改良が施され、のびやかなだけでなく、ふわふわ、とろとろの肌触り。
どこまでもどこまでも穿き心地のみを追求したその徹底っぷり。
新しいのに、どこか懐かしい。
この見慣れない構成は一体どこにルーツがあるのか、せっかくなので欧米の男性用下着の変遷をざっくりと追いながら見ていきましょう。
よく知られるところでは、もともとロンパース状だったものが、20世紀に入り分かれるようになった、これはたしかに事実ではありますが、不十分です。
紀元前まで遡れば、ガリア人が着用していたトラウザース”Braccae”が古代ローマへ伝わり(チュニックをトーガの下に着ていたローマ人からすると、ズボン型の服は女々しくさえ見えたようですが、乗馬に便利なことからこっそり穿くようになったとか)、
それが中世ヨーロッパの代表的男性用肌着であるBraies(ブレー)へと変質していきました。
このブレーはどんどん短くなっていき、14世紀ごろには今の感覚から見ても下着だなとわかる程度になっています。
ボッカッチオ『デカメロン』は14世紀に書かれましたが、こちらの絵は15世紀のもので、当時の肌着の雰囲気が窺い知れます。
8日目第5話『裁判官のズボン』から。
一方、長靴下のようなタイプの肌着としてブレーと並び主に富裕層に用いられたchausses(ショース)は15世紀になると腰まで伸び、現在のタイツのような形状となりました。
服装が軽快になり、上着の着丈が短くなったのがその要因のようです。
このショース、排泄のため前が縫われておらず、股間を守るため別途コッドピースを装着していました。
このコッドピースもいつしか男性としての魅力を強調する装飾具へと意味合いを変えていきます。
やがてブレーは廃れましたが、ショースはそのまま残り、貴族の男性たちは脚線美を競いました。
たとえばフランスでそれに合わせて穿かれていたのがキュロット。
彼らは、直線的な丈の長いパンツを穿いた貧民たちを「キュロットを穿かない者(Sans-culotte)」として蔑みました。
そう、それがフランス革命の中心となった社会階級層(手工業者、職人、小店主、賃金労働者など)、サン・キュロットです。
この蔑称はいつしか誇りをもって自称する名として用いられるようになります。
18世紀に起きた産業革命(肌着の歴史的にも、綿製品の大量生産が可能になったのはこのころからです)を経て、19世紀になると世界のパワーバランスがさらに変わり、アメリカの力がどんどん強大に。
1868年にニューヨーク州ユーティカで女性用肌着として生まれたユニオンスーツは、やがて老若男女問わずアメリカでは肌着のスタンダードとなっていきます。
一方英国では、今もニットウェアメーカーとして名高いジョン・スメドレーが裕福な中間階級層に向けて、綿やウールを用いた高品質の肌着および靴下の生産を開始。
ヴィクトリア朝のころですね。
同社は19世紀にぴったりとしたメリヤス素材の2ピース型肌着の製造を開始、いわゆるロングジョンですが、これは女性ものに由来するデザインを男性にアピールするにあたり、マッチョなニュアンスを内包する”Long”に男性像を想起しやすいポピュラーな人名である”John”をかけあわせたと伝えられています(諸説あり)。
時をほぼ同じくして、同型の肌着もまた別の会社からロングジョンとして販売されていました。
こちらは当時大人気を誇ったプロボクサーであるジョン・ローレンス・サリヴァンのリング上での装いから名付けられたとか。
20世紀に入ると、アメリカでもロングジョン型がユニオンスーツに取って代わり、上下セパレートが再び肌着の標準となります。
第一次世界大戦に従軍し、支給されたショートパンツを下着として穿くことに慣れた帰還兵たちの存在もまた、下着の潮流に影響を与えました。
このショートパンツが、トランクスの原型と云われています(ウェストにゴムが入った現在の形のもととなったは、1925年にエバーラスト社が発表したボクサー用のショートパンツです)。
1935年にアメリカのクーパーズ社が乗馬用の肌着に着想し、本体に伸縮性のある素材を用いてウェストにゴムを入れた”Jockey”を発売。
この世界初のブリーフが、世界を席巻致しました。
第二次大戦が勃発し、物資が不足すると、肌着のゴムは一旦廃止され、紐やボタンが使用されるようになります。
今回ご紹介のDRAWERS SHORTは、このころの米軍用モデルを原型とし、再構築されたものと思われます(ようやく話が繋がりました!)。
戦後も若者の肌着といえばブリーフでしたが、ユーザーの高齢化とともにブリーフのイメージも子供か老人の穿くものへと変質していきます。
そうしたイメージを払拭するかのように、米国のデザイナー、カルバン・クラインが1980年代に股上などバランスを見直し、巧みな広告戦略で男性用の下着の概念を揺さぶりはじめました。
そのカルバン・クラインが往時の下着に着想し、ボクサーショーツ(トランクス)の裾丈とブリーフのフィット感を合わせモダナイズした”Boxer Brief”を1992年に発売。
この再発明がまたもや世界のトレンドを大きく動かし、今に至るわけです。
こうして見ると、男性用の肌着は螺旋を描くかの如く、再発見、再発明を繰り返しながら進化していったことが窺えます。
15世紀の裁判官の下着、世界大戦時の軍用肌着、カルバン・クライン、そこに至った流れはバラバラなのに、不思議な共通性がありますよね。
ヴィンテージトランクスと出会い、旧き良き時代の肌着の素晴らしさを現代に問いかけ続けるOlde Homesteaderもまた、この大いなる環のなかで、次なる時代への架け橋として後世から高く評価されることでしょう。
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