Twitterをご覧の方はご存知かと思いますが、当店ではPeingの質問箱のサービスも行っておりまして、毎日のようにいろいろなご質問を頂戴しております。
そのなかでも昨日いただいたこのご質問にはハッとさせられました。
曰く、
「シルエットが良いとはどういったものでしょうか
〇〇はシルエットが良い!と言われても初心者の私にはピンときません涙」
実にシンプルで、しかし鋭く盲点を突く問いです。
「(この服は)シルエットが良い」、
たしかに何となく使いがちな言い回しではあります。
当店の接客やブログなどでも、無意識的に用いていたかも知れません。
でもたしかに、その「シルエットが良い」とは如何なる状態を指すのか、これを説明するのは甚だ困難です。
すなわち、説明できないような言葉で説明していたということになりますよね。
そこに気づいてしまった以上、もはや放置はなりませぬ。
そう容易く明解な答えがでるものでもありませんが、せっかく素晴らしい思索の機会をいただきましたので、足りない頭と乏しい語彙を使って考えてみることにします。
まず、「シルエットが良い」から定義づけていきましょう。
これは、輪郭の造形美に優れている状態と言えそうです。
次に、服によるその輪郭や造形に対する好印象とはどのようなものを指すのか、これは2通り考えられます。
A. 着用者を主体とした造形美
B. 服を主体とした造形美
Aは、いわゆる「スタイルをよく見せる服」の結果です。
たとえば脚が長く見えるパンツなどがここに含まれます。
バブルのころによく見た、肩幅の大きなジャケットが描く逆三角形のファッションもこれですね。
頭を小さく、脚をすっきり見せ、そして着用者を大きく感じさせる視覚効果があります。
一方Bに関しては、着用者の肉体は服の芯に過ぎません。
その芯が纏う服の形状が生む視覚効果を重視します。
たとえば着物なんかはここに含まれるのではないでしょうか。
どちらも着地点としては「シルエットの良さ」を実現していますが、「シルエットの良い服」というのは、Bを齎す服なのではないかと思います。
Aに対する評価は、あくまで着用者の肉体の輪郭を主体とします。
そして、たとえば「脚が長い」とか「顔が小さい」とかは、(その時代の価値観に則った)肉体の造形美であり、衣服そのものを評価するものでもありません。
何なら、そうした「スタイルが良い」とされる要素を備えた人物の裸体も並べて同じように評価が可能です。
一方でBに関しては、たしかに肉体を伴うものの、しかし依存度は低い(後述しますが、ゼロではありません)。
あくまで、着用した際にその衣服を主軸としてどのような視覚効果を発揮するのか、そこに着眼が置かれます。
「シルエットの良い服」を言い換えると、「(この)服はシルエットが良い/(この)服のシルエットが良い」となります。
この想定に着用者の肉体は存在せず、あくまで主語は名詞「服」ないし名詞句「服のシルエット」となりますから、この表現をみても、それはAよりもBのための服の意味が強いと判断してもよさそうです。
では、このBを見据えて考察を進めていきましょう。
まず注意すべきは、前述BはときにAでもあり得るということです。
例えば、これもパンツを例に出しますと、「脚が綺麗に見える」。
肉体の上に纏わる衣服がもたらす輪郭の造形美とともに、それを着用する肉体の造形美も実現した状態を表しています。
ですから、服を主体とし、その比重をいくら高めたとしても、衣服の芯たる肉体の存在を完全に無視して考えるわけにはいきません。
先ほど例に挙げた着物は、もちろん単体で見ても美しいのですが、しかしそれはあくまで物体としての美であり、着物を着たときの美しさとは異なるものです。そしてBの造形美とは、着用時の美を指します。
すなわち、服単体を見たのみでは、その造形美を真に判断することはできないと言えます。
次に、芯である肉体の役割を見ていきます。
言うまでもなく人の肉体には個体差が存在しますから、それを芯とする以上、肉体+服が生む造形美にも個体差が生じます。
着物のようにフレキシブルな構造をもたない洋服に関してはとくにその美的な差を縮めるのが服作りの妙技でして、デザインもそうですし、パターンワークや縫製技術の腕の見せ所です。
この技術点の高さもまた、「シルエットの良い服」には欠かさざる条件でしょう。
とは言え、いくら技術を駆使した服であっても、サイズがまったく合ってなかったり、服の構造そのものが肉体とあまり相性がよくなければ、Bの造形美は生まれません。
それはA軸で判断されるような肉体美そのものを問う話ではなく、その肉体がその服に適しているか否か(同時に、その服がその肉体に適しているかも)が重要です。
ですから造形美を判断するにあたり、この相性が適切であるという前提は必要となります(もちろん、これに加えて綺麗に着るための技術なども大切ですが、ここまで踏み込むと話が複雑になりますから、今回はいったん置いておきます)。
この肉体との相性を最低限以上クリアした状態であらためて服に戻りますと、ある程度の個体差を技術でカバーしたその服が、いよいよ「シルエットの良い服」として見え始めてきました。
一度まとめてみましょう。
・「シルエットの良い服」というのは、いわば「服を主体とした造形美」に優れた服のことである
・服を主体とした造形美を生み出すには、芯である肉体の存在は前提となる
・その服がある肉体に重なった総合的な状態に生まれる輪郭が、造形美の評価の対象となる
・肉体の個体差による造形美のブレを縮めるには、服と肉体との相性と、服そのものの対応力、両方が求められる
・この対応力に優れ、そして着用時に望ましい造形美を生み出せるものが、一般的に「シルエットの良い服」と称される
さて、この「造形美」の価値基準がときに永遠不変なものではなく、時代とともに移ろい得るものであり得ることも忘れてはなりません。
この無常の流れによってある時代に収まり旬を迎えた価値観が「トレンド」と呼ばるものと繋がっていきます。
ゆえに、「シルエットの良い服」もまた、「こういうもの」だとはなかなか具体的に絶対性をもった定義づけができないものです。
「”シルエットの良い服”と言われてもピンとこない」のには、こうした移ろいやすさも起因していると思われます。
また、造形美を造形美として判断すること自体、実はある程度の修練を要します。
いわゆる「目が肥える」とされる状態ですね。
しかし、そうして磨き続けた審美眼は、そのときそのときのトレンドを知識として知っておくこと以上に有用で、服を着る行為をより豊かに愉しくしてくれるはずです。