テレビの情報番組は概ね無視を決め込んでいるようですが、それでもガザの凄惨な状況が、日々あちこちから洩れ伝わってきます。
西欧諸国に追随する我が国もまた構造的にはジェノサイドに加担する側であり、いまや国内でもパレスチナに連帯したり反虐殺の意思を唱えれば世間からは過激な思想の持ち主と見做され、ときには極左暴力集団と同等の主張とされることまであるようですね。
とかく血腥い世の中になりました。
その風潮はウクライナ侵攻で急激に加速した感がありますが、こうも世界全体がキナ臭くなってくると、ミリタリーアイテムを純粋にファッションやガジェットとして愉しみにくくなってきます。
個々が何をどう着るかはその人次第であり、とくに他人がアレコレ言える話ではないにしても、いままさに起きているこの情勢の背景を知ってか知らでか、よりにもよって米軍や英国軍のカーゴパンツを「単にカッコいい服」視座でお店やインフルエンサーたちが無邪気に持て囃しているのを見ると、さすがに違和感を禁じ得ません。
とはいえ、実は軍の放出品がファッションとして採り入れられたのは、もともと反戦的メッセージあってのことでした。
1960年代、ヒッピーたちは本来戦場で着るものであるミリタリーウェアを敢えて市街地で着る(戦争に使わない)ことで、ベトナム戦争への抵抗の意思を示したと云われています。
そこからいつしか一切の思想信条を抜きにした表層へと変わっていったわけです。
世が泰平なればそれも寧ろまことに望ましいことですが、いまこそ、ファッションとしてのミリタリーウェア、その意味を再確認すべきときなのではないでしょうか。
mandoから届いた春の新作ジャケットは、おそらくは米軍のM-43またはM-51をデザインベースに、大幅な換骨奪胎を行った一枚です。
ミリタリージャケットの形状の一部のみが残された胴部分はmandoお得意のやわらかなポリエステル生地で仕立てられ、
そして落ちた肩から繋がる袖には、優美な幾何学模様のジャカード生地が採用されています。
製品洗いを施すことで型を崩し、ミリタリー由来のデザインに備わる「強さ」を徹底的に排除しました。
前立ては通常のボタンやファスナーでなく、マグネットボタンひとつだけで留める簡素な仕様となっており、このくだけた服の印象をさらに引き立てています。
こうした力の抜き方がmandoはとにかく巧い。まさにプロの技です。
色にも言及せねばなりません。
ご覧の通り、安易にオリーブドラブに着地せず、ジャカード部分に至るまで沈んだグレーに統一することで、ミリタリーの臭いをさらに削ぎ落しています。
いまさら言うまでもないことですが、『ゲルニカ』は描いたのは、スペイン内戦に介入したドイツ軍やイタリア軍がバスク地方のゲルニカ村を無差別爆撃した様子でした。
その凄惨さを訴えるならば、視覚的に伝わりやすいショッキングな色遣いのほうが見る人に強い印象を与えると凡人なら考えてしまうところ、敢えてモノクロームにすることで、表面的なインパクトでなく絵の内容そのものに鑑賞者を導きます。
このmandoのジャケットのグレーがどこまで意図して選ばれた色かはわかりません。
ただ結果として、(良くも悪くも)明確な目的に向かっての合理性が生み出したミリタリーウェアの機能美が、彩りを失うことで殺伐とした聯想から断ち切られ、純度の高い構造のまま我々の眼前に迫ります。
もはやこの服に人を殺めるための機能は残されおらず、美しき形骸が残るのみです。
ところでこのジャケットには、セットで着るかどうかはさておき、対となるものも存在します。
ジャケットの袖に用いられていたジャカード生地を使ったサルエルパンツです。
サルエルといってもそこまで極端なシルエットではなく、力の抜けたテーパードパンツくらいの気構えでお召しいただけます。
名高きコンゴの洒落者集団サプール、その筆頭である大サプールことセヴラン氏は云いました。
「平和を守るには、もし洋服か武器かという選択肢があったとしたら、みな洋服を選ぶのではないか」
実際に熾烈な内戦を体験してきた先達の言葉は、ますます重みを増すばかりです。
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