当たり前の「正しさ」がさまざまな場面で壊れていくのを、いままさに我々は日々目の当たりにしています。
それは単なる善悪の問題に限らず、社会のシステムや、それを築くにあたっての前提といった部分に於いても。
蓋し21世紀ももう四半世紀が過ぎようとしているわけで、20世紀的の常識が通用しなくなるのは当たり前のことなのかも知れません。
そうして我々人類は歴史を前に進めていくわけですが、それはあらゆる過去を否定する作業ではなく、ときに過去を振り返る作業であったりもします。
quitanが昨年の秋冬のコレクションを宮沢賢治『農民芸術概論綱要』から着想したのは、その点検でもあったのでしょう。
さて、ファストファッションを例に挙げるまでもなく、現在アパレル業界で主流となる生産システムは、大量生産大量消費を前提としています。
quitanはここに疑念を投げかけながらも、安直な結論を導きませんでした。
理想論だけ語るならば、生産のあるべき姿というのは適量を守り循環させることです。
土地、暮らし、歴史に根差した職人の手仕事の技術を残していくことは、そのひとつの形と言えます。
が、歴史的背景やその意義を考えれば、大量生産そのものを理想の対極に位置する絶対悪として単純に糾弾することはできません。
公平に評するならば、産業革命から現在に至るまでの工業の進化が、(もちろん負の側面はあるにせよ)多くの人の暮らしを豊かにし、命を繋げてきたのもまた事実。
手仕事と量産性、これらのバランスによって生まれ得るのが、quitanの見据える「適量」です。
そのバランスをどのように導くか。
quitanは、ロジェ・カイヨワがその著書『反対称(La dissymétrie)』で説いた弁証法的アプローチにそのヒントを見出しました。
すなわち、安定的な対称の状態である「正」への直面的な対立(否定)を以てではなく、その対称の部分的な破壊(「静」)により新たな組織体や特性を獲得し、高度の水準に移行する(「動」)、という考え方です。
いままで持続してきたシステムを、今後の持続性のために壊す。
攻撃的でなく建設的なその破壊によって、新たな普遍性を創出していく、この「静と動」が今季の服づくりに活かされています。
こちらのワークジャケットをご覧いただきましょう。
デザインのベースとなったのは、1950~60年代に欧州で鉄道作業員が着ていたゴム引き(マッキントッシュクロス)のコート。
これを再構築し、いわゆるカバーオールの形状にアレンジしています。
カテゴリーを超えた一着となりました。
迫力のある質感の生地は、打ち込みの強い肉厚なヘンプのヘリンボーンツイル。
茜の根から抽出した色素をを用いたハイブリッド染料で優しい色に染められた生地で、素材の粗野な風合いを活かしながら気品のある表情に仕上がりました。
天然由来ではあるもののいわゆる草木染めではないため、染色が安定しており、気兼ねなく日常生活にお使いいただけます。
ストレートな否定、破壊でなく、「ずらし」の角度からのやわらかな崩し、この優しき破壊プロセスの重なりによって生まれた美しい服です。
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