……われらのなかで芸術家とはどういふことを意味するか……
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
先日beta postのflat seam jacketの記事で述べましたように、かつてドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスは「人はだれもが芸術家である」と云いました。
しかしボイスより前に、我が国でも近似した説を唱えた人物がいます。
冒頭で引用した通り、宮沢賢治です。
宮沢が詩人として、ならびに童話作家として日本を代表するに値する人物であるのは今更言うまでもないでしょう。
しかし、本人としてはその肩書きはさして重要ではなかったようです。
宮沢にとって、詩や童話は単なる創作活動でなく、生き方や社会をアレゴリーを通して提示する伝達手段でした。
彼が岩手出身なのも知られた話ですが、当時、自然災害やさまざまな問題によって、かの地の農民の暮らしはひじょうに困窮していました。
質店の生まれだった宮沢は、少年時代、貧しい農民が家族を養うためにあらゆる物を質に入れ、わずかばかりのお金を手に帰っていく姿を何度も目にしたそうです。
そうして培った罪悪感もあったのでしょう、やがて彼は農業に携わる人々の幸せな暮らしを追求すべく、道を歩んでいきます。
而して彼は30歳にして農民として生きることを決意、当事者として本格的な改革に取り組み始めました。
しかし残念ながら彼が思い描いたそのあまりに時代の先をゆく理想への挑戦は、社会的圧力や彼自身の病によってわずか2年余りで中断し、やがて彼は37歳の若さでこの世を去ります。
そんな宮沢が農民となる前、教諭として岩手国民高等学校で行った農民芸術の講義の内容をまとめたものが、『農民芸術概論綱要』(1926年)です。
今季quitanは実験的プロセスの一つとして、”点・線・輪”の表現を、この『農民芸術概論綱要』に則って検討しました。
『農民芸術概論綱要』の序論は「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」と締めくくられます。
問い続けることに意味があるというこの宣言は、もちろん服に直接的な形で反映されているわけではありません。
しかし、人の営みから生まれたデザインのひとつひとつが繋がり描くそれは、いわゆる「芸術」とは異なって見えるかも知れませんが、その意味での「芸術」とは違った美を生み出しています。
このCOLLARLESS WORKER’S COATは、かつて機械工のために作られていたワーカーズジャケットを再構築したコートです。
“COLLARLESS”といいながら襟がついているように見えますが、実はこれ襟的なパーツを縫い付けているだけ。
これは作業中に襟が機械に巻き込まれる事故を防ぐべく考案された仕様のようで、実用的には単にカラーレスにすればいいだけの話ですが、そこは当時の職人の洒落っ気、あくまで体裁だけでも襟付きのきちんとした装いをという意思に基づいています。
この兎(鹿?)は型抜きでなく、昔のハンティングウェアに用いられていたもののようにひとつひとつ木に彫られていて、ボタンごと形状や表情がブレています。
が、それは決してネガティブなことではなく、むしろ量産品では決して表現できない価値でしょう。
本体に使用されている生地はオーガニックコットンを使用し限界まで打ち込まれた肉厚なモールスキン。
一枚仕立てでも冷風から身をしっかり守ってくれます。
そしてこの美しい色調にも物語が。
まずこちらの灼けたような青は、見た目に反して「DORO(泥)」と名付けられています。
これは岡山県美作市の上山の千枚田から採取した泥を用いたハイブリッド染料で染められていまして、この配合によって単に染料を用いただけでは成し得ない奥行きが生まれました。
もう片方、ぱっと見「DORO」っぽい茶色は、「KURINOKI(栗の木)」。
札幌を拠点に活動している木工作家、辻有希氏の作品制作時に出た栗の木屑から抽出した染料で染められており、こちらも天然染料ならではの陰翳ある色ムラに惹かれます。
こうして見てみると、ひとつひとつの要素は隔たっていて、そしてどれもが作業、狩猟、泥、木工、と、人の原初的な「生」を想起させますね。
それでいて、これらの要素を結ぶと素朴な土臭さは影を潜め、思いもよらなかった美が現出します。
quitanとは何か、何を目指しているのか、その一端を我々に示すコートです。
オンラインストアはこちらです→ DORO/ KURINOKI