入荷ラッシュの時期故に商品紹介が続きましたので、たまには息抜きを。
弊ブログに於いて、過去に2度読み物紹介をしたことを覚えている方はどれだけいらっしゃるのでしょう。
正直アップ当時どちらもそれほど反響はありませんでした。
が、最近なぜか「店主の戯言、最近書いてないけど次はいつ?」「何か面白そうなの紹介して」などと驚愕のご要望(社交辞令の可能性も大)を何件か受けておりまして、調子に乗って懲りずにまたやらせていただこうと思い立った次第です。
ちょうど今は読書の秋ですから、一人の時間にゆっくり読むのにお薦めの5冊を挙げてみたいと思います。
昨年の夏同様、今回も入手困難本やマニア向けの作品は除外し、文庫版を気軽に買える名著のみで選考しました。
1. 兼好/ 徒然草(岩波文庫)
comm. arch.の紹介文でも引用したばかりですね。
最近もですが、しばしば不定期的に読み返す本のひとつです。
学校で習ったような、くらいの認識をされている方が多いとは思いますが、これがきちんと読んでみると内容的な旧さをさほど感じないどころか、現代にも通じる内容で驚きます。
様々な角度から独自の視点で世の中を辛口に批評しつつも、ふと小話を挟み込み、読者を飽きさせません。
全243段ありますので、一気に読むだけでなく適当につまんでのんびり好きなように読むのにも適しています。
古典にしては比較的読みやすい文章なのも嬉しいところです。
「寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、たゞありのまゝに、やすく付けけるなり。この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むるは、浅才の人の必ずある事なりとぞ」
2. 内田百閒/ 阿房列車(旺文社文庫)
入手困難本は除外と書いておいて何ですが、旺文社文庫版は絶版でして。
新潮文庫版なら購入は容易、しかしながら、これは是非この版を読んでいただきたいのです。
内田百閒は戦後の新仮名遣い普及後もスタイルを変えることなく、生涯旧仮名遣いに徹した人でした。
そのため、彼の文章は旧仮名遣いで最大のパフォーマンスを発揮するように作られています。
ところが死後、お弟子さんの判断により、文庫化にあたってはそれが現代仮名に改められてしまい、全集等を除けば現行で百閒オリジナルの文体を楽しめるのは中公文庫版だけです。
一方この『阿房列車』は中公には収められておらず、そのため絶版となった旺文社文庫版の古本を探していただく必要があるのですが、その価値はあります。
内容といえば、鉄道大好きな百閒先生が用はなくとも一等列車で旅をしたいと思い立ち、金策ののちに一等列車で目的地に向かい、到着(この時点で目的達成)後すぐに三等車などで帰還する、それだけの紀行文です。
この顛末を超一級の文章でグイグイ読ませてきます。
仕事で文章を書く方であれば、内田百閒は必読です。
文章力とは何かを存分に思い知ることができますよ。
「用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。さうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどつちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗つてゐる人の顔附きは嫌いである」
3. ウィリアム・フォークナー/ 響きと怒り(岩波文庫)
ノーベル賞作家フォークナーの代表作です。
かつてアメリカ南部の特権階級だったコンプソン家の人々に起きた出来事を描いています。
全4章に分かれており、第1〜3章はそれぞれ別の登場人物(コンプソン家の三男、長男、次男)の視点で語られ、第4章のみコンプソン家の黒人召使に焦点を当てて三人称で俯瞰される構成です。
中でも第1章、第2章はジョイスらが開拓した”意識の流れ”の手法を用いているのですが、特に第1章、これがまた実に読みづらい。
特に最初のうちは読み手も慣れていないため、余計苦労します。
たとえば水にまつわる出来事があったら過去の水と関連した出来事を思い出し、その記憶の場面に繋がってしまうなど、時系列が乱れ続けて進行してしまうのです。
第2章も語り手の入水自殺の実行に至るまでの精神状態、その意識を追う構成となっており、終盤に向かうに従って加速的に錯乱していきます。
また、全編を通して高潔な人物は一人も出てこず、問題を抱えた非人格者たちが崩壊に向かうだけの話ですので、名作に触れてストーリーで感動したい、とか自分の成長に繋げたい、などの期待は一切しないでください。
そんな癖の強い作品ですが、読み進めるうちにその圧倒的な魔力にすっかり憑りつかれていることでしょう。
傑作と謳われるだけあっていくつかの訳が出ている中、岩波文庫版はともすればお節介なほどに膨大な注釈と時系列表が付いており、初めて読む方には最適かと思われます。
「僕はシュリーヴの部屋でガソリン缶を見つけると、平らになるようテーブルにチョッキをひろげ、ガソリンの蓋をあけた。町で最初の自動車 小娘が 小娘のくせに それがジェイソンには我慢できなかった ガソリンの匂いに気分が悪くなって その上さらに頭にきていたのは 小娘が 小娘のくせに 妹を持ったことはない だけど ベンジャミン ベンジャミン」
4. リチャード・ブローティガン/ アメリカの鱒釣り(新潮文庫)
アメリカの作家ブローティガンが’60年代に書いた作品をまとめた短編集です。
どの短編もストーリーの面白さや内容の奥深さで読ませるものではなく、”アメリカの鱒釣り”(それが何者かも最後までよくわかりません)にまつわる断片的な小話です。
巻末の解説にもあるのですが、何といっても訳文が素晴らしい。
ひらがなと漢字の使い分けが実に見事で、そのしかめっ面のユーモアが効いた文体が読み物としての完成度をさらに高め、読者をブローティガンの幻想世界へといざないます。
「そういえば、わたしにもいちど同じようなことがあった。ヴァーモントでお婆さんを鱒のいる小川と見まちがえ、謝罪するはめになったのだ。『いやあ、失敬』とわたしはいった。『あなたを鱒の川と思ってしまって』『人違いだよ』と、そのお婆さんはいったさ」
5. メアリ・シェリー/ フランケンシュタイン(創元推理文庫)
一般的にフランケンシュタインと聞いて思い浮かべるのは、頭に大きなネジが入って「フガー」としか言わない大男の人造人間でしょうか。
原作を読めばその概念が誤りであることにすぐ気づかされます。
まずフランケンシュタインは、生命の謎を解明しようと研究を進めていった結果として解剖室や食肉処理場からかき集めた材料を組み合わせたものにや命を吹き込んで人造人間を生み出してしまった博士の名前です。
人造人間は作中名前すら与えられず「怪物」「あいつ」などと呼ばれていますが、この怪物くん、機敏に動き回り、銃を操り、よく喋り、ときには涙を流し、そしてミルトンやゲーテなどを愛読しています。
さて怪物は容姿の余りの醜さゆえに人間社会で生きることが叶わず、だれの目にも触れないところでひっそりと暮らすからせめて伴侶を創ってほしいとフランケンシュタインに頼みます。
ところが…
フガーなイメージなど消し飛ぶ、悲哀に満ちた作品です。
「『心ない無慈悲な創り主よ!おまえは自分に知覚と感情をさずけておきながら、それっきり人類の侮蔑と恐怖のまととして、世界に放り出したのだ。それでも哀れみと救済を自分が要求できる相手があんたしかいなかったから、人間の姿をとった他の生き物からは得ようとしてもかなわぬ正義を、あんたに求めようと決心したのだ』」
と、毎度簡単すぎる紹介ですが、もしこの中から何か一つ、どなたかにとってご縁でも生まれればと願うばかりです。