なほ語りゐ給ふとき、視よ、群衆あらはれ、十二の一人なるユダ先だち來り、イエスに接吻せんとて近寄りたれば、
イエス言ひ給ふ『ユダ、なんぢは接吻をもて人の子を賣るか』
御側に居る者ども事の及ばんとするを見て言ふ『主よ、われら劍をもて撃つべきか』
その中の一人、大祭司の僕を撃ちて、右の耳を切り落せり。
イエス答へて言ひたまふ『之にてゆるせ』而して僕の耳に手をつけて醫し給ふ。(新約聖書 ルカ傳福音書 22:46-51)
洋の東西を問わず、たちまちのうちに傷を癒すという行為は、だれにも理解できる奇跡として古来より認識されてきました。
齢を重ねるほどにひしひしと実感しますが、傷ってなかなか治らないものです。
況や、すでに生を全うしたのち撚られた糸に於いてをや。
綿の糸は、綿花として摘まれ、圧縮した状態で輸送され、異物を取り除かれ、開繊され…と、糸に至るまでだけでも何段階ものプロセスを経ています。
そののちに織られたり編まれたりするわけですが、こうした工程のなかで繊維はだんだんと傷ついていきます。
この傷がもし癒されることがあるならば、素材本来の特性をじゅうぶんに味わえるのでは…そんな絵空事のような話が、現のこととして私たちの眼前に。
このフーディーに用いられているのはスーピマコットンのスウェット裏毛ですが、何と言っても触れればまずそのとろんとした質感に驚かされます。
編みあがった生地の最終段階である特殊な加工を施すことで、繊維が修復し、中核の空洞部分が元通りに膨らみ、それにより綿が本来持っていた風合いが復元する…書いていて何を言っているのか自分自身でも理解が追いつきませんが、どうかお赦しください。
何しろこの加工は国内でも一社のみがもつ門外不出の秘術らしく、その詳細が一切明らかになっていないのです。
しかしそのロジックがどうあれ、この官能的な手触りはごまかしようがありません。
あれこれと御託を並べるよりも、まずは触れ、袖を通していただくのが一番です。
さてそんな素材の魅力を中心に据えた服ですので、デザイン自体はごくシンプル。
しかしただ「普通」にまとめているのではありません。
サイズのバランスや細かいディテールに、細やかな仕事が見て取れます。
たとえば波打つ生地の静かな流れを阻害せぬよう、ハンドポケットは一般的なパッチではなく、脇に切れ込んで設けられています。
上品な色調もあってフーディー特有のスポーティーな雰囲気が抑えられ、とても優しく中性的な風貌ですので、男女用ともにサイズをご用意しました(サイズ2;女性~小柄な男性向け/ サイズ4;男性向け)。
漸う近づく春の日に向け、このまろやかな軽さを是非お手元へ。
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