かつてパリに、ARNYS(アルニス)というメゾンが存在していました。
「右岸のエルメス、左岸のアルニス」と並び称され、モンパルナスに近いこともあってコクトー、ピカソ、サルトルなどの多くの著名文化人を顧客に抱えるほどでしたが、どうも商売には長けていなかったようで、結局2012年にはLVMHグループの傘下に入り、商標権をベルルッティに売却、現在は事実上消滅しています。
その代表作として世の洒落者たちを虜にしていたのが、Forestier(フォレスティエール)。
もとはル・コルビジェがソルボンヌ大学で講義を行う際に黒板に字を書く腕の動きを妨げぬものをとオーダーしたジャケットと伝えられています。
その名の由来の通り、森の猟区管理人の作業着に着想しアルニス流のアレンジを利かせたこのデザインは、世に出てから70年以上の時を経たいまもなお古びるどころか輝きを増したようにすら見えます。
先述の通りすでにブランド自体が自立しておらず、既製服としてこのフォレスティエールを手に入れることはできなくなりました。
しかし、ボタンダウンシャツやジーンズのように、この普遍的なデザインは太い幹として、数多くの枝を伸ばし、世界中で花を咲かせています。
tilt The authenticsの新作High Density Chambray Cotton Suede French Jacketもまたそのひとつ。
もちろんtiltのこと、単なるコピー品、亜流品に留まるようなものづくりは致しません。
むしろ、この「お題」に対して、「オリジナルを超える」ことを選び目指した、実に挑戦的な一着です。
さっそくご覧いただきましょう。
表側の生地は、この服のためだけに企画・設計されたオリジナルの超高密度シャンブレーコットンスウェード。
経糸にネイビー、緯糸に明るいオーカー(黄土色)を使い、その緯糸を表側に掻きだしています。
隙間にぽつぽつと覗くネイビーとのコントラストがオーカーを鮮やかに見せ、複雑かつ奥行きのある色調を生み出しました。
この生地は打ち込みの密度と尋常ならざる糸量のため、1時間に1~1.5mしか織り進めることができないそうです。
生産を担当した尾州の老舗テキスタイルメーカー山栄毛織株式会社にとっても、五指に入るほどの時間と手間のかかる生地だとか。
100年以上の歴史をもち、世界の超一流メゾンを顧客に抱える同社にすらそこまでさせてしまう、この時点でtiltの気合いが伝わります。
裏襟と袖口の見返し、ポケットのフラップの裏側には、深いダークネイビーのカシミアウールビーバークロスを使用しています。
裏地には肌触りがよく適度な保温性を備えたコットンビエラを採用し、着心地をさらに高めました。
エルボーパッチなど、フォレスティエールの特徴を継承しながらも
随所にみられるエッジとカーブの緩急具合に、tiltならではの匂いが漂います。
tiltの服の大きな特徴のひとつが、肩にかかる荷重を分散する体感的な「軽さ」ですが、それはこうした立体的なパターンワーク、そして高度な仕立てあってこそ。
仕立てを担当するのは東京は中野の辻洋装店。
レディスのプレタポルテを得意とする縫製工場で、皇族が海外の重要な式典で着用する服まで手掛けます。
この辻洋装店が担当するtiltの服は、実は当店では3度目のご紹介となりまして、昨年のCWSW Soft Brushed Shark Jacket、春の3 Fabric Back Satin Gabardine Open Collar Jacketと、このブランドの各シーズンのラインナップのなかでも最上クラスに位置づけられる服揃い。
先述の着心地だけでなく、着用時の優美なシルエットには、思わずため息が洩れます。
もちろんこうした諸々の情報は、服の価値としてはあくまで付加的なものであり、本質ではありません。
ただ、このジャケットに袖を通したときに強い衝撃とともに脳内を埋め尽くす「なぜ、なぜこんなにも素晴らしいのか」という快楽的疑念に対して、納得度の高い種明かしとして提供しているだけです。
フランスで生まれた歴史的名品への、日本からの最高の本歌取。
和歌の国の矜持が、ここにあります。
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